国の伝統的工芸品に指定されている大洲和紙は、大洲市ではなく、隣町の内子町で生産されています。江戸時代、内子は大洲藩だったのでその名で呼ばれるのだそう。 大洲和紙は、江戸時代の経済書の中に「大洲半紙の勢ひ天下に独歩せり」、つまり「他に並ぶものがないほど優れている」と記されるほど良質で、大洲藩の経済を支える産業として生産が勧められていました。明治末期には、内子を流れる小田川沿いに400軒以上の製紙業者があったということです。 機械による製紙が盛んになり、業者数はどんどん減少し、今では4軒だけ。でも、昔ながらの手漉(す)きの技は受け継がれています。

かつて大洲和紙の主力商品は書道半紙と障子紙だったそうです。これらは時代とともに需要が減ってきましたが、「五十崎社中」が手がける「こより和紙」や「ギルディング和紙」など新しい和紙商品も誕生しました。「こより和紙」は和紙で作ったこよりを簀桁の中に編み込んでから漉き上げるもので、ギルディング和紙はヨーロッパの金属箔装飾「ギルディング」加工を施したもの。 天神産紙工場内にある「五十崎社中」のショールームには、それらを使って作られたインテリアや雑貨がバラエティ豊かに並んでいます。五十崎社中の作品は、ヨーロッパのインテリア展示会で注目を集めたり、道後温泉飛鳥の湯に使われたりと、話題を呼んでいます。
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